時計編集・ライターの髙井智世が、自身のコレクションの中から、特に思い入れのある1本を紹介する。取り上げるのは、時計業界への転身を決意し、20代半ばで脱サラして手に入れたロレックスのアンティークウォッチだ。当時、特に影響を受けた方々との出会いを振り返りながら、その腕時計を紹介する。
『クロノス日本版』編集部員からフリーランスの編集・ライターに転身して4年ほどが経つ。末席も末席ながら現在もこうして時計業界に携わり続けられているのは、ひとえに厳しくも温かく育てていただいた先輩方はじめ、周りの方々のおかげでしかない。ただ時計が好きという一心で、世間知らずな私は編集・ライティングの基本さえ知らぬまま2017年秋にクロノス編集部へ飛び込んだ。さらにさかのぼれば、2013年、時計業界に何のアテもコネもないのに、「時計の世界でやっていく」と一念発起し、それまでのキャリアをすべて捨ててしまった。この時も、多くの人に助けられ、なんとか食いっぱぐれることなく生き永らえた。
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今回、「思い入れのある1本」というテーマのもとで紹介させていただくのは、ロレックスのアンティークウォッチだ。これは時計業界への転身を決意した際に手に入れたものであり、現在も頻繁に着用している1本である。自分の向こう見ずな性格を恥じつつ、お世話になった方々に改めて感謝しながら紹介させていただきたい。
実用時計の雄として認識していたロレックス。時計とは無縁だった当時、華奢なこの1本を見付けたときには驚きを覚えた。マーキス型のケースや繊細なブレスレットデザインは、1950年代〜1970年代にかけてのロレックスのレディースウォッチに多く見られる。
振り返れば、私の時計業界への転身には反対する人もいた。かつて私はある大手企業のグループ本社に勤め、いわゆる安定した道を歩く普通の会社員だった。その頃に所有していた腕時計は、デイリーウォッチとしての「シチズン エル」、フォーマル用の「カルティエ サントスドゥモワゼル」の2本だけ。「なぜ突然、時計なの?」。大幅な路線変更に、家族や友人、いったい何人から驚いた顔でこう問われただろう。私のプレゼン能力の乏しさもあり、なかば反対の声を押し切る形にはなった。ただ、確信はあった。「こんなに面白い世界は他にない。飽き性な私だが、おそらく時計はライフワークにできる」。
当時の私は20代半ばだった。周りの友人は次々と結婚し、家庭を築いていく。その一方で、1から新たな道を進もうとしている私。正直に言うと、不安は、めちゃくちゃにあった。しかし、それでも前に進みたかった。
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